こんにちは、DAFUです(‘ω’)ノ
このカテゴリーは、どういう経緯で妻が病気になり、亡くなって父子家庭になったか。
子供の為にも記憶が劣化する前に、記録として残しておこうと思いました。
あまり長く書くつもりはありませんが、、、先の事は判りません(ハハハ。
このブログは、少しでも同じような境遇や立場に置かされている方の何かの役に立てばと思って
始めました。
僕と同じように悲しんでいる人、苦しんでる人、悩んでいる人に貴方だけじゃないですよという
メッセージになればいいなと思います。
では!
東京への転勤
2007年に今の会社に入社して、長崎~大阪と勤務してきました。
2016年10月にそれまで5年半勤務した大阪支社から東京本社に異動、それに伴い妻ちゃん(当時44歳)・愚息TARO(当時3歳)も12月末に引っ越してくる事になりました。
私も妻ちゃんも東京に住むのは初めてでそれなりにわくわくしながら引っ越してきました。
如何せん二人とも九州の田舎者。「会社に近いほうがいいよね」という事で中央区は隅田川沿いの狭い狭いマンションを借りました。
窓からは隅田川、スカイツリー、中央大橋が見え狭いけど眺望はバッチリ。
幼稚園も近く、スーパーも徒歩1分、門前仲町もすぐです。
隅田川沿いは桜が植えてあり満開の季節は桜のトンネルになります。東京はもっとどんよりしていると思っていましたが違いました。
僕らはすぐこの土地が好きになりました。
GWには僕の両親も観光に来て、初日ははとバス、2日目は東京タワー~泉岳寺~隅田川クルーズ~浅草寺~すき焼きと僕らも東京を満喫しました。
”アド街ック天国”を真面目にみるようになり、今度はどこに行こう?なんていつも話していました。
がんが発覚
2017年5月、そろそろ生活も落ち着いた頃、妻ちゃんは婦人科系の病院に行きました。
元々婦人科系は弱く、過去に流産と異常妊娠で2回の堕胎をしていて、この違和感は子宮とかかな、、、と思って受診したそう。
検査結果は1週間~10日後と言われ、、、たものの、3日後には連絡あり「紹介状書いたから至急築地のがんセンターに行くように」というものでした。
急ぎがんセンターへ行き診断の結果、妙に痩せた先生から、大腸がんのステージ4だと告げられました。
この時の事はよく覚えていません。ただ、何か他人事のようにふーんとしか思えず、この病院の中にも大勢がん患者がいて、毎日誰かが亡くなっているんだろうなぁ、、、
と漠然と周りを見回しただけでした。
とりあえずは外科手術をするという事でしたが、手術は混んでおり1か月後に。
そんなに時間おいている間に進行するんでは?とイライラする僕に妻ちゃんは「先生が言うんだから大丈夫だよー」と言って笑ってた。
その日はすごく疲れて帰った事だけは覚えている。
②へ続く!
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