今回は中央大橋!
新川民としては外せませんね。中央大橋は!!!(力説
新川民は皆思っているんじゃないでしょうか。
「おれ(わたし)、桐山零くんのご近所さんなんだぜ(ですよ)」
桐山零、そう。
羽海野チカ原作の漫画「三月のライオン」の主人公です。
* 背景は中央大橋の下と思われます。
桐山君は新川に住んでいて、この中央大橋を通って三日月町(現実にはもんじゃ焼きで有名な月島)にある川本家に行く。
つい最近藤井総太プロが史上最年少の8段・2冠王になっているが、将棋のちょっとしたブームを作ったのがこの三月のライオンだ。
ハチクロ(車好きはハチロク…)の作者が将棋の漫画を描くなんて、と思いましたが、複雑な人間関係を持ち暗い性格の主人公が、川本家とかかわり、色々なものを乗り越え、成長して行く。そしてその周りの人々も一緒に変わっていき、成長して行く様子が逞しく描かれている。
11巻裏表紙には
「様々な人間が何かを取り戻していく優しい物語です」と書いてあります。
うちは父子家庭なので、長女あかりさんが妹2人を育てていく苦労がトンデモナイ事っていうことがホントに良く判る。いつも読んでてグッときて勝手に感情移入しています。。。
いつものように前置きが長くなってしまいましたがとにかく色々なドラマのロケ地に選ばれ、TVやCMにもよく出る。1994年とかなり新しくできた橋で歴史はありませんが、風光明媚で、その橋自体の造形も美しいです。
私は柴咲コウが好きな女優なのですが、ドラマ「GOOD LUCK!!」でも舞台になったみたいですね。
中央大橋の周りにはよくロケバスが停まっています。
周りの夜景や、リバーシティ21の摩天楼、春には隅田川沿いに桜が咲き乱れ、円形には聖路加タワー、反対を見ればスカイツリー、隅田川は観光船が行き来する。。。
ここを通る際には誇らしい気持ちにすらなります。斜張橋の主塔は兜の鍬形を模したと言われ、いつも見上げてしまう。
そんな魅力満載の橋です。
ただ、難点を言うと、橋脚の上、歩道がちょっと滑りやすいという事でしょうか。
TAROが自転車で走る時はかなり注意します。
製作は石川島播磨重工(IHI)。元々中央大橋を渡ったすぐ先にあって、現在は佃島小学校があります。また石川島資料館もあります。それこそ旧石川島にあって、創業の地のすぐそばに掛かる橋となれば、当然、IHIが作るという流れになりますね。
IHIとしても何としてもここに掛かる橋を自社でやる!というプライドもあるでしょう。
IHIについてはWikipediaで(手抜き
しかし、この場所になぜ1994年まで橋がかからなかったのだろうか。。。
中央大橋から隅田川の上流を見るとほんの数100mに永代橋がある、一方で下流に首をめぐらすと佃大橋がある、その先には勝鬨橋。
佃大橋は1964年、オリンピックの年に架橋。隅田川の最後の渡船場だった
勝鬨橋は1940に完成。みんな比較的新しい橋。
・・・永代橋が忠臣蔵の以前からあると考えれば、この辺には橋を架ける計画もなかったのかも。
歴史的に考えてみると、架橋されなかったのはおそらく理由があるんでしょう。
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八丁堀より以西の地域はもともと陸は無く島ばかり=そもそも橋はいらない
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仕事人や鬼平で名前の出てくる八丁堀は、要は警察組織があったところ
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その八丁堀より以西、今の佃は忍足寄せ場があったところだ
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言うてみれば犯罪者やごろつきの矯正施設
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かつ、処刑場もあったとか・・
言ってみればお城に近いところに、今でいう留置所があったって事で、そりゃ安全上を考えると橋なんか掛けないほうがいいんでしょうね。
隅田川テラスの横から佃公園に上がれますが、そのあたりが忍足寄せ場のあったところです。まぁ、古くから不浄の地と呼ばれているそう…
(住んでいる人すみません。私が言ったんではありません…)
今の佃は元々は佃島・石川島と呼ばれ(IHIの会社名の由来)、そもそも島。ここ新川も今のほぼ四角が半分に新川という川で分断されていたというし。
この辺りは江戸時代以降の埋め立てにより徐々に居住地として埋め立てられてきた土地なのです
そのような歴史の土地を最新の技術で建てられた橋が繋いでいるというのもまた、ロマンを感じるものです。
いつも誰かが散歩してて、いつも誰かが立ち止まり、誰かが写真を撮っている。
歴史に思いをはせるもよし、夜景を初めとして景色を楽しむもよし。
ひろーい歩道で隅田川の空気を感じて、立ち止まってみるといい橋だと思います。
新川いいとこです
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