おまたせ(?)しました。
永代橋です!
言わずと知れた永代通りの名前の由来の橋です。
永代通りは皇居の大手門から始まり江東区の清砂大橋西詰交差点に至る道路です。
日本橋を経て茅場町、新川に向かって歩き隅田川まで凡そ30分。
都営バスは20番と22番が通っており、丸の内北口から錦糸町に至ります。
創架は江戸時代の元禄11年(1698年)8月。そう、「時は元禄15年―」と始まる忠臣蔵のあの時期です。
そしてその忠臣蔵ともかかわりがある橋という事でも有名です。
赤穂四十七士は両国吉良邸で吉良上野介を討ち取った後、品川は浅野内匠頭の墓所がある泉岳寺までこの橋を渡って向かったといいます。
確かに、忠臣蔵をみると雪の降る中、赤穂浪士は橋を渡って、民衆の喝さいを浴びながら歩いて泉岳寺に向かうシーンがありますね。そう、あの橋です。
なお、吉良邸跡は相撲部屋のわんさかある江戸川区の両国にあります。因みに勝海舟の生家はそこから歩いて3分くらいのところにあります。
両国、錦糸町辺りは赤穂浪士由来の場所が未だにたくさんありますね。
永代橋のふもとにある操業元禄元年のちくま味噌は、初代が浪士の大高源吾と俳句仲間だったこともあり、討ち入り後、泉岳寺に向かう途中で立ち寄り、看板を書いたとされていますし、勝海舟が咸臨丸に乗り渡米した際に脇差を送ったとされています。そう、この脇差です。
今も赤穂浪士が休んだ地として石碑が立っています。
あまり知られていないかもしれませんが、他にも日本最大の落橋事故を起こしたりと、歴史的には話題に事欠かない橋です。
さて、現在の永代橋ですが、何を隠そう、我が家から数十歩、ベランダから見えます。
この家を選んだのはひとえにこの景色です。
隅田川と永代橋、そしてスカイツリー。
何物にも代えがたいこの景色で部屋は選びました。そう、部屋の狭さと言う代償と共に。。。( ゚Д゚)
永代橋は鋼製になったのは1897年(明治30年)とのことです。その7年後にはその強固な作りから路面電車が敷設されています。素晴らしいですね。
これはこれでかっこいい
現在の永代橋が架橋されたのは1926年(大正15年)に関東大震災の震災復興事業によるもの。
「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツの ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにしたそうです。
別名レマゲン鉄橋。第2次世界大戦の時の重要戦略地点だったようで、映画にもなっています。このブログを書くまで知りませんでした。
確かに似てる。
とにかく、流麗で美しく、かつ、重厚で存在感抜群の橋です。
毎日のようにベランダから写真を撮ってしまいます。隅田川やスカイツリーとの調和もいいし、歴史も、地理的な重要度もある。
江戸3大祭りの一つでもある深川まつりもありますね。残念ながら今年は新型コロナウイルス感染症の影響で来年に延期されてしまいました。
強度と張力が足りない為、リベットで何枚もの鋼板を合わせて強度を出し、緩やかなアーチ形状でさらにバランスをとっている。
当時の建築家が強度を出すために腐心したあとが伺えます。
春には桜が咲き乱れ、少し渡れば門前仲街の下町があり、北行けば両国、南に行けば佃、勝鬨と散策にはもってこいです。
隅田川テラスがあるので、下にも潜れます。
散歩にもよし、赤穂浪士に思いをはせるもよし、幕末に勝や南洲がこのあたりによく来ていたと思いつつ橋を渡るもよし。(注 今の場所よりも少すこーし上流にあったとされています。今はIBMがあるあたりですかね。
橋好き、歴史好きは一度は訪れる価値のあるエリアだと思います。
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