【がん闘病】 ⑩ おかえり 

妻ちゃんの病気の事

おかえり

「安定してるし、在宅での治療に切り替えますか?」

という意外な話が出たのは、入院して抗がん剤治療を4ターム位終えたころだったと思う。腫瘍マーカーは下降線を描いていて肝臓の転移も進んでいなかった。肺もその後順調だった。

「マジか(;´・ω・)」

妻ちゃんは不安のほうが大きかったようで浮かない顔だった。そりゃそうだ。要介護5、障害1級だし。ただ、僕は予想していなかったのでまた小躍りして準備に取り掛かった。

 

トランクルームを借りて、この狭いマンションを片付け、介護ベットを置けるようにした。

車いすを選び、クッションを揃え、脱臭機を買い、机の上に置くTVも買った。障害が特殊なので車いすへの移乗をPTさんと考え、介護士さんの為に冊子を作り、ソーシャルワーカーさんとも何回も何回も打ち合わせをして体制を整えた。

 

「帰ってくる、帰ってこれる」

 

そんなこんなで体制が整い年末に帰ってこれるようになった。

救急車で運び込まれた時から考えると、年越しそばと雑煮を3人で一緒に食べられるとは思わなかった。おせちは大丸で奮発して買い、雑煮はめちゃくちゃ気合を入れて作った。

夜は介護ベットの横で布団を敷いてみんなで一緒に寝た。

朝調子がいいときは仕事に行く前に車いすに乗せてあげて、皆で朝ご飯を食べる。TAROはグズグズしてて小学校に遅れそうになって怒られる。

仕事が終わると、あんなに毎日通っていた病院に向かわず家に帰る。ただいまーというと奥からおかえりーと声が返ってくる。

 

これがずっと続けばいいなぁと思った。

僕がおんぶするよ

こんな感じで病院と家を2~3週間毎に行き来し、治療、帰宅を繰り返した。

妻ちゃんは長い闘病生活で少し心が痛んでて、時折すごく落ち込んだりした。何かに前向きに取り組む事もなく、車いすに乗っても絶対外にも行かなかった。

歩けなくなって、歩ける見込みもなくなって、絶望感に襲われて。

看護師さんたちの前では気丈に振舞って笑ってたけど、たまに晩御飯食べながらポロっと泣いたりした。

ちまちまと抜けていく髪をゴミ箱に捨てながら黙り込む事もあった。寂しいと電話があって昼に仕事を抜けて言ったこともある。

 

TAROは相変わらずお手紙を書いて渡してたけど、だんだんそれもちらっと読んだだけで横に置くようになった。

TAROはそれでも横で無邪気に笑っておかあさん、おかあさんと甘えていたけど、だんだん妻ちゃんは笑わない日が多くなってきた。

妻ちゃんを背負ってどこでも行くつもりだったし、できることは何でもするつもりだった。車いすを載せられる車を買おうと思った。

 

「みんなでドライブに行こう、前みたいに。F1とかサッカー見に行こう」

 

妻ちゃんは

「お金がもったいないよ。それに人目に付くとこにはいきたくない」とまた泣いた。

 

その後僕は13年乗ったCBR600RRを売って入院費の足しにした。お金にそんなに窮していたわけじゃないけど、妻ちゃんも好きだったそのバイクも「役に立ちたい」と言った気がしたから。

乗れてなくて車検も切れてたしね(苦笑

 

 

⑪ に続く!!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました