ぼくがなおす
凡人の僕には成すすべも無く、病気は徐々に進んで行った。
「残念ですが今回が最後の帰宅になると思います」
と言われたのが6月頭位だったと思う。
肝臓と肺の影は少しずつ大きくなっていた。
帰宅する時に点滴を持って帰るようになったけど、本人には自覚症状もなく、至って普通の感じで、進行してるとはいまいち実感が湧かなかった。
最後に帰宅した時の事はよく覚えていない。
ただ、病院に送った後、これでもう帰ってこれないのかと思い、会社に向かう中央線の中で僕はまた、泣いた。
入院してからしばらくして、熱が出るようになり抗がん剤治療はストップせざるを得なくなった。
高熱が続いていたが、本人はそこまで苦しんではおらず、看護師さんたちも熱を下げるために色々と手を打ってくれ、妻ちゃんも「なんかすみませんねー」と愛想よく話してた。
2週間くらい経ったら、もう、腫瘍マーカーもCTも見なくなった。見る必要もなくなってしまった。
相変わらず仕事帰りに病院に寄り大盛りの富士そばを食べて色々しゃべった。妻ちゃんはTAROの学校の事をひとしきり心配していたが、そのうち寝てることが多くなった。
徐々に食事に手がつかなくなり、ほとんど残っている病院食を横目に、一人でもそもそと富士そばを食べた。
暫く経って、
「泊まっていいですよ」
と病院から言われた。つまり、その時期が近づいているという事だ。
義母が
「泊っていい、って言ってるけど、私がええかね?DAFUさんがええかね?」
って聞いたら、
「DA~」
と答えたので、義母と苦笑いした。もうそのくらいしか話せなくなっていた。
その日の夜、歯ブラシを持ってくるのを忘れていて、向かいのマツキヨに買いに行こうとして
「マツキヨに歯ブラシ買いに行ってくるわ~」
と寝ている妻ちゃんにいったら
「早く帰ってきて」
とはっきり言われた。寝てたと思ってたし、この頃はもうゼエゼエ言うだけで、殆ど話せなくなってたのに不思議だった。
「そこのマツキヨやけ、10分で帰るわ」
その見開いた目から何が見えてたんだろうか。ポロリと流す涙の意味は。病気に冒されたわが身を恨んでか、元気な僕らに対する妬みなのか、残していくTAROへの気掛かりか。
手を握っても、もう握り返す力もなくなった。
47歳の誕生日、その4日後に妻ちゃんはあっちの世界に旅立った。
たまたま、3日ぶりに30分だけ会社にパソコンを取りに戻ったその時だった。
病院を出る前にバイタルを見て看護師さんに何も変化ないですよねと確認したのに。
急いで戻ったらTAROが泣いてるおふくろの背中をさすっていた。TAROが最後の心音を聴診器で聞いてくれたらしい。
まだあったかい妻ちゃんを抱きしめて、お疲れさんと言った。ほんとによく頑張ったよ。
義母もすぐ来たので、二人きりにしてあげた。
TAROは
「おかあさんのびょうきはぼくがなおすはずなのに、だめじゃないか」
とすこし怒っていた。
図書館からたくさんの体に関する本を借りてきていた。
⑫につづく!!
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