それって何ですか
お医者から、作業のように、
「明日呼吸が止まるかもしれません」
と言われ、できるだけ冷静を保って話を聞くとこうだ。
- がんは頸椎と第9胸骨に転移してる。
- 進行してて特に頸椎はやばい。
- もう少し進むと呼吸をつかさどる神経に達して、呼吸が止まる。
- 明日かも。もしかしたら今かも。
- 腰が痛くて歩けないのは胸骨のせい。こっちは進行が進んでてもう治りません。
- 第9胸骨以下で司っている機能はパーです。
さらに冷静を保って、「8月末でいいって言いましたよね?それって何ですか?」と聞いた。
「うーん、進行したとしか言いようがありません」
そりゃね、異常があったときにすぐ来ればよかった。こっちが悪い。こっちが悪いんだよ。。。
すぐに、お医者のリスクヘッジの書類と入院の書類を何枚も何枚も何枚も書きまくって、そして
妻ちゃんは一生浴びる限度の放射線をその日のうちにくらった。
その間僕はがんセンターの大便器の前で鼻水まみれになってこれでもかというくらい泣いた。
この病気で泣いたのは初めてだった。
そして、その日を境に妻ちゃんは胸から下が完全に動かなくなった。
TAROは「えーと、こくりつがんせんたーちゅうおうびょういん」と読んでた。漢字教えてないのに。
病院に泊まることもできず、TAROを連れてその日は帰った。TAROが寝た後2人になった布団が寂しすぎて妻ちゃんの枕を抱いて一人でまたメソメソ泣いた。
妻ちゃんも泣いていたんだろうか。
痛くない
看病に集中するため(と言っても何もできる事は無い)にTAROを一旦実家の博多に預け、日帰りで東京に戻ってきた。
その際も、お医者からは「知りませんよ、帰省している間に呼吸が止まっても」と何回もリマインドされた。
妻ちゃんは余命だ何だ、何が重篤だというのは聞きたくないクチだったので、お医者の話は僕が聞いて、適当に都合よーく伝えてた。
今回はどう伝えようと思ってグズグズしてるうちに4~5日達ち、放射線の効果が出て痛みがすっかり治まってきた(神経が分断されたから痛みが治まったという皮肉)。
入院してからは仕事を午後休みにし、そばにいる事にした。夜は友人SやT、Mの奥さんS嬢が付き合ってくれた。築地のラーメン屋で泣いてる僕を励まさずに、普通に接してくれてありがとう。
痛みから解放された妻ちゃんは、どんどん元気(?)になった。
TAROのあれやっといて
「チョ͡͡コとプリン買ってきて」
「へそくり貯金を私の代わりに続けといて…」これはおかしいやろ
両手は動くからパクパクご飯を食べ、PTさんとワイワイ話をして、久しぶりにお風呂にも入って。
声を残したくてボイスレコーダーを買ってこっそり会話を録音した。
*本当は病院ではプライバシーの観点から禁止です、、、ごめんなさい
会社が終わってすぐ病院に行って19時に帰る。毎日毎日周りの幸せそうな人を見て、泣きそうになるのをこらえながら帰った。
そして3週間前に受けたTOEICが740点だった。会社のボーダーをクリアーした。
クソだと思った。
⑧に続く!!
コメント
がん検のくせに、骨転移見逃すのってダメだよな。
直腸がんからの骨転移は1%未満だから見落としたんだと思う。その割には、1%未満のわずかなリスクを負うちょっとした治療でも必ず紙を書かせるからな。。。